「くやしい」と題された詩はとても短い。〈砕けた瓦礫に/そっと置かれた/花の/くやしさ〉。神戸市に生まれ、20年前の今日被災した詩人の安水稔和さん(83)は、それからずっと、神戸の町と、生きる、人々を言葉にとどめてきた。 「泣く」という詩は〈ここにいる人は/一度は泣いている。/あのとき/すぐに。/あのあと/ずいぶんたって。/このあと/いつか不意に。〉で全文。難しい言葉は一つもないが、大切な人を失った悲嘆の深さや、消えぬ追慕への想像を、読む者の心に呼びさます。 20年は節目ながら、区切りにできる人ばかりではない。そんな心のさまが、本紙と関西学院大の調査に表れていた。回答者の半数以上は、亡くした家族を今も「どうしょうもないほど恋しく、いとおしい」と感じている。 4人に1人は、いまでもどこかで生きていると考えることがあるという。街は歪み、壊れたが、人の命こそかけがえがない。悲しい記憶を塗り込めるように都市は復興しても、人の心が追いつかない。 阪神・淡路大震災の犠牲者は6434人を数える。日々の明け暮れのなかで、いまも不意の涙、嗚咽がこみ上げる遺族はおられよう。想いを寄せて、きょうは静かに祈る日としたい。 これから先は、記憶を伝え続けることが一層大事になる。3月の東日本。10月には中越。震災だけではない。伊豆大島、広島……瓦礫にそっと置かれた花のくやしさは、どこも同じだった。その悲劇を、また繰り返さないために。 1月17日付 朝日新聞 天声人語より |
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