今年2014年に絵本画家のいわさきちひろは没後40年を迎えました。 「私は私の絵本の中で、いまの日本から失われたいろいろなやさしさや、美しさを描こうと思っています。それをこどもたちに送るのが私の生きがいです」 40年以上の時を超えて、いわさきちひろが残した言葉と絵は私たちに切実に響きます。 母親としてわが子を慈しみ、生涯子どもを描き続けたちひろ、その絵には「世界中のこどもみんなに平和としあわせを」という願いが込められ、今も命の輝き、平和の大切さを語りつづけています。 1918年12月、いわさきちひろは福井県武生で生まれ、幼い頃から絵を書くことが得意でした。ちひろが本格的に絵を学び始めたのは14歳の時でした。しかし「女は良き妻、良き母になるもの。絵描きになるなんて」と両親から反対を受け画家への道を断念せざる得ませんでしたが、どうしても諦めきれないちひろでした。 1945年8年15日、ちひろ26歳の夏、日本は敗戦を迎えました。敗戦後、ちひろは読書とスケッチに没頭する日々がつづきました。 特に夢中で読んだのは、宮沢賢治。この頃から、ちひろは日本共産党の講演会や勉強会に積極的に参加するようになりました。 「戦争のない、働く人々が主人公となる国をつくりたい」そんな思いがちひろを突き動かし、27歳で日本共産党に入党しました。 松本善明(日本共産党・元衆議院議員)と出逢い、ふたりは結婚。長男猛がうまれました。それからのちひろは妻として、母として、絵本作家として意欲的に作品を発表し続けます。 「青春時代のあの若々しい希望を何もかも打ち砕いてしまう戦争体験があったことが、私の生き方を大きく方向づけているんだと思います。平和で、豊かで、美しく、可愛いものが本当に好きで、そういうものを壊していこうとする力に限りない憤りを感じます」と語り、激動の時代を生き、日本共産党員として信念を貫き通したちひろでした。 「紛争を武力によって解決しない」という憲法9条は、私たちの宝てす。今、この憲法9条を変えて、日本を戦争ができる国に変えようとする動きが急激に進んでいます。 今こそ、平和を願い続けたいわさきちひろの想いをしっかり受け止めていきたいと思います。 |
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